──話題の小説「マチネの終わりに」
【毎日新聞で連載されていた長編小説。物語は、クラシックギタリストの蒔野聡史と、 海外の通信社に勤務する小峰洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた2人。しかし、洋子には婚約者が…。やがて蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに2人の関係は途絶えてしまい…。別々の道を歩む2人の運命が再び交わる日はくるのか?という大人の恋愛小説。】
19世紀までの小説では、このスタイルの書き方が多いんですね。
最初に「これは実話の話で…」とか、「最近手に入れた原稿があって、自分は紹介するだけだ」とか、そういう序文があって。あくまでこれはフィクションじゃないというような、僕はその導入が好きで。
いまは、本も最初の何ページか見て引き込まれないと、なかなか先まで読もうと思わないから。最初にどういう話というのを、簡単に書いておくというのは、物語に入っていってもらう上で、いいんじゃないかと思います。
・恋愛小説を書こうとしたわけじゃない
自分が40歳になるので、よく”ミドルエイジクライシス”とか言われますけど。昔は不惑と言われていた年齢だけど、これからどういう風に仕事をしていこうかと、若い時よりも悩むことが多い気がしているんですよ。
やっぱり、人が人と一緒にいたいというのは、どういうことなのかな?っていうことを考えたりとか。あと、いまは世の中が殺伐としてますから、小説読んでる時くらいは、美しい物語に浸れる時間を自分も持ちたいし、そういうものが求められているんじゃないかという気はしているんですね。
ちょっと前に、別の企画で200文字小説を携帯で書いて下さいっていう企画があったんですよ。僕は審査員に呼ばれて行ったら、高齢の人ばかりが投稿してきていて。それが、ほとんどそういう(プラトニックな恋愛の)思い出なんですよ。
別に恋愛小説を書いてくれっていうわけじゃなかったんだけど、しかも、すごくプラトニックな思い出が、人生の中で強烈な思い出になっているという。それは、みんな記憶の中で、人に言うと「それって恋愛じゃないんじゃない?ただの友達だったんじゃない?」って言われそうな関係だけど、自分の中では”あれは、もしかしたら発展があったんじゃないか”っていうすれ違いが、みんなあるんじゃないかっていう気がしているんです。
文学って、言葉にならないものを言葉にするっていうのが一つの役割だし。
今回は太いストーリーのラインはできるだけシンプルにしたかったんですよ。ストーリーが混み入ってると、状況説明のためにページをくわれるんですよ。けっこう分厚い本を読んでいると、気が付くと状況説明読んでたみたいになっちゃうから、なるべくストーリーを単純にして、その分、登場人物達がどういうことを感じで、それって何なのか?っていうところに、ページ数を費やしたんですよね。
みんなトラウマという言葉に、すごくとらわれているというか…”過去にこういうことがあったから、自分はこうなんだ”っていう、理屈付けの中で不自由になっていて。大事な思い出が、嫌な風に変わってしまうのは怖いけど、辛い思い出が、時とともに少し違って見えて来るっていうことを、受け入れられれば、未来にどういう風に前向きに生きていくかっていうことを考えられますよね。
○新刊情報
小説家・平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」毎日新聞出版から絶賛発売中です!
「詳しい情報は「平野啓一郎 オフィシャルサイト」ジへアクセス!」
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【毎日新聞で連載されていた長編小説。物語は、クラシックギタリストの蒔野聡史と、 海外の通信社に勤務する小峰洋子の出会いから始まります。初めて出会った時から、強く惹かれ合っていた2人。しかし、洋子には婚約者が…。やがて蒔野と洋子の間にすれ違いが生じ、ついに2人の関係は途絶えてしまい…。別々の道を歩む2人の運命が再び交わる日はくるのか?という大人の恋愛小説。】
19世紀までの小説では、このスタイルの書き方が多いんですね。
最初に「これは実話の話で…」とか、「最近手に入れた原稿があって、自分は紹介するだけだ」とか、そういう序文があって。あくまでこれはフィクションじゃないというような、僕はその導入が好きで。
いまは、本も最初の何ページか見て引き込まれないと、なかなか先まで読もうと思わないから。最初にどういう話というのを、簡単に書いておくというのは、物語に入っていってもらう上で、いいんじゃないかと思います。
・恋愛小説を書こうとしたわけじゃない
自分が40歳になるので、よく”ミドルエイジクライシス”とか言われますけど。昔は不惑と言われていた年齢だけど、これからどういう風に仕事をしていこうかと、若い時よりも悩むことが多い気がしているんですよ。
やっぱり、人が人と一緒にいたいというのは、どういうことなのかな?っていうことを考えたりとか。あと、いまは世の中が殺伐としてますから、小説読んでる時くらいは、美しい物語に浸れる時間を自分も持ちたいし、そういうものが求められているんじゃないかという気はしているんですね。
ちょっと前に、別の企画で200文字小説を携帯で書いて下さいっていう企画があったんですよ。僕は審査員に呼ばれて行ったら、高齢の人ばかりが投稿してきていて。それが、ほとんどそういう(プラトニックな恋愛の)思い出なんですよ。
別に恋愛小説を書いてくれっていうわけじゃなかったんだけど、しかも、すごくプラトニックな思い出が、人生の中で強烈な思い出になっているという。それは、みんな記憶の中で、人に言うと「それって恋愛じゃないんじゃない?ただの友達だったんじゃない?」って言われそうな関係だけど、自分の中では”あれは、もしかしたら発展があったんじゃないか”っていうすれ違いが、みんなあるんじゃないかっていう気がしているんです。
文学って、言葉にならないものを言葉にするっていうのが一つの役割だし。
今回は太いストーリーのラインはできるだけシンプルにしたかったんですよ。ストーリーが混み入ってると、状況説明のためにページをくわれるんですよ。けっこう分厚い本を読んでいると、気が付くと状況説明読んでたみたいになっちゃうから、なるべくストーリーを単純にして、その分、登場人物達がどういうことを感じで、それって何なのか?っていうところに、ページ数を費やしたんですよね。
みんなトラウマという言葉に、すごくとらわれているというか…”過去にこういうことがあったから、自分はこうなんだ”っていう、理屈付けの中で不自由になっていて。大事な思い出が、嫌な風に変わってしまうのは怖いけど、辛い思い出が、時とともに少し違って見えて来るっていうことを、受け入れられれば、未来にどういう風に前向きに生きていくかっていうことを考えられますよね。
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